来日ブルースマン

meiteizz2006-11-26

昨日のロバート・ジュニア・ロックウッドの逝去を知ってから、ブルース三昧の土・日。
昨日も書いたように、1970年代から日本のブルース・ブーム(?)は始まり、今や定着している感がある。
誰が来日して誰を聴いたか、と思い出し作業を行っても、既に痴呆症傾向の爺はなかなか思い出せない。
しかし、世の中には便利なものがある。
「来日ブルースマン全記録1971−2002」という本。
これで、記憶の断線が繋がった。
しかし、生を聴いてないブルースマンも沢山いることが分かった。


先ず、最初は1971年のB・Bキング。
これは、見たな。
ロック・カーニバル(っていうのが凄い)のゲストで来日。
ホーン・セクションを加えたバンドを従え、格好良く歌いギターを弾きまくっていた記憶が。
今みたいに身長とウエストが同じサイズくらいじゃなく、スマートだった。


次は、昨日も書いた1974年の「第一回ブルース・フェスティバル」。
これは、衝撃的だった。
生カントリー・ブルースに、生・シカゴ・ブルースだもんな。
主催は、NMM誌。
あの頃は、NMM誌もブルース応援隊だった。


1975年の第二回は、ジュニア・ウェルズとバディ・ガイのオリジナル・ブルース・ブラザースが登場。
これは、日比谷の野音で見た。
この時のライブ盤も出た。


1975年の第3回は、悪評高きジミー・ドーキンス・バンドの演奏をバックにしたオーティス・ラッシュ。
これも、ライブ盤が出た。
写真を見ると、リーゼントのオーティスさん、エピフォンのリビエラを弾いている。
格好いい!
(記憶には無かった。そういや、ブルクリの竹ちゃんが一時期サンバーストのリビエラを引いていたが、オーティスの影響だったのかな?)
上の写真の左、リトル・ブラザー・モンゴメリーの背後から日比谷野音の観客席を撮っているが、超満員なのが当時のブルース・ブーム(?)を象徴している。


1977年のエディー・テイラー来日は、フェントン・ロビンソンが来日出来なかった代役で来日。
これも、またライブ盤あり。
大した期待もしていなかったが、これが良かった。
ザム・ピック以外にもフィンガー・ピック付け、リズム・カットを親指以外のアップで行うなどのギター奏法にも、ビックリ!


1978年は、ライトニン御大が来日。
これは、何故か横浜で見た。
日本人のバックが付いていたが、全く合わず、御大が苛ついていた記憶がある。


B・Bとアルバートのダブル・キングは何故か見てない。


ボビー・ブルー・ブランドとクラレンス・ゲイトマウス・ブラウンのジョイントは、日比谷公会堂で見た。
ボビーは、チリトン・サーキット・スタイルのまんま、
ゲイトマウスは我が道を行く、で面白いライブだった。
ここでの一番の記憶は、ボビーがいつものように、女性(勿論、日本人)と絡もうとしたが、その女性が拒否みたいになって、ブランドが白けた。
まっ、仕方ないと言えば、仕方ない。
しかし、ボビーもゲイトマウスも、自分のスタイルを崩さないのは流石だった。
これは、ライブ盤は無し。
音はないのかな〜?出して欲しいな。
あっ、何処かに隠し録りのカセット(ボビー・ブランドのみ)があったはず。


サニー・ランド・スリムとハニーボーイ・エドワーズが来日したのも、1978年。
この地味なシカゴ・ブルースマンが来日したのも、ブルース・ブーム(?)の賜物かな?
う〜ん、やっぱ凄いな。


疲れたので、今回は1978年まで。
1970年代は、よく行っていると、自分に感心!(笑)
(ミュージシャンの写真は全て「来日ブルースマン・・・・」より。)