来日ブルースマン ②

meiteizz2006-11-27

まずは、先日の訂正。
エディ^−・テイラーのギター奏法だが、正確には親指と人さし指にフィンガー・ピックをつけ、人さし指のアップでリズム・カットを行うようだ。

では、続き。

1978年には、ブルースマンだけでなく、遂にソウル・マンまで来日を果した。
4月には、O・V・ライトの代役で来日したオーティス・クレイが、現役の強みで、期待以上の熱唱を披露し、一躍、日本のソウル・ファンのアイドルとなった。
その時のライブは、レコード化され、日本のソウル・ファンの宝物となった。
反面、11月に来日したジェイムス・カーは、ブランクでの歌い込み不足に加え、バック・バンドのイモさで、ファンに失望を与えた。
オーティス・クレイは、翌年1979年にも再来日し、同年には「スーパー・ソウル・ショー」として、ハイ・レーベルのアーティスト:アン・ピーブルズ、ドン・ブライアント、シル・ジョンソンが来日し、遂に前年来れなかったO・V・ライトも来日した。


1979年に来日したブルース・マンは、フィリップ・ウォーカーとジョージ・スミス。フィリップは赤のギブソンES330を弾いていた。330を使う人は珍しい。

1980年には、ロウエル・フルソン、リー・アレン、クレイ・ハモンド(ソウル)が一緒に来日。
1981年は、ジョン・リトル・ジョンとキャリー・ベルが来日。
’79年、’80年のライブは六本木のピット・イン、’81年は目黒の鹿鳴館というライブハウス(その後、ハード・ロックのメッカとなる)で行われた。

あれっ、爺は日本教育会館に行ってる。(記憶が〜)

この3つのライブは、「ザ・ブルース」という雑誌の会社(ブルース・インターアクション社)で、ライブ盤も出た。


まだまだ、手作り的ライブが出来た時期だった。

前回書いたエディ・テイラーといい、フィリップ・ウォーカー、ロウエル・フルソンなどのブルース・マンは、お洒落な人が多い。
スーツにネクタイでビシッときめて、格好いいのである。

この頃から、来日アーティストのライブへ足が遠退いてしまった。
1983年のピー・ウィー・クレイトンwithエディ・ヴィンソン。’84年のバーバラ・リンやドクター・ジョン以降、ずっと行かない状態が1990年のシカゴ・ブルース・ヘリテッジ(ロバート・ジュニア・ロックウッド、ジミー・ロジャース、ジェイムス・コットンなど)のライブまで続き、その後も2002年のジミーヴォーンまで空いてしまう。

音楽の趣味の変化もあるのだろうが、何となく、日本のブルース・ファンの閉鎖性、また、ライブでやたら騒ぐだけの客の増加なども原因のひとつだと思う。
一番の原因はやかり出不精な自分自身なのだろうが・・・。

しかし、今思うと、行けば良かったな〜と後悔するブルースマン来日ライブも多くある。
ジョニー・ギター・ワトソン、ロバート・クレイ、リトル・ミルトン、アルバート・キング、スヌークス・イーガン、アルバート・コリンズ、フェントン・ロンビンソンなどなど。
鬼籍に入った人も多い。
残念である。