ソウル・オン 1972

meiteizz2005-02-05

真っ黒シリーズ・アゲイン

1972年に相次いで2枚の本格的ディープ・ソウル・ミュージックのオムニバス・アルバムが発売された。
それが「ソウル・オン/シカゴ・サウンドVol.2」と「ソウル・ディープVOL.1」。
実は、それ以前に「熱い想い」というアルバムが出ていて、後年その存在を知った時は既に廃盤であった。
その「熱い想い」には、ドン・ブライアントやエディ・バスターなどが収録されていた記憶が・・・。(昔、カセット・テープにダビングしてもらったのがあるはずだが、引越しでどこかに・・・)
さて、「ソウル・オン」と「ソウル・ディープ」は、各々チェス/チャッカー系とアトランティック系のディープ・ソウルを集めたもので、今となっては少し希少価値は下がってしまうが、その当時としては、米国や英国に対して「鼻高々!」のアルバムであった。
「ソウル・オン」には、アーマ・トーマス、エタ・ジェイムス、ローラ・リーやボビー・ムーアの少し有名どころから、当時我が国では無名だが、こてこてのディープ・ソウルのビリー・ヤングやキップ・アンダーソンなどが収録されていた。
チェス・レコードは、どうしてもシカゴ・ブルースのレーベルというイメージが強いが、ソウル系も充実していたのである。
後年、アナログでは、Pヴァインから数枚の編集盤が出たが、CD時代になってからは、本格的な編集盤は出ていない。
ユニバーサル・レコードには、ブルースの再発だけでなく、ソウルもしっかり再発して欲しいのだが・・・。
「ソウル・ディープ」には、有名なのはパーシー・スレッジのみで、後はジェイムス・カー、Z・Z・ヒル、マイティ・サム、ロゼッタ・ジョンソンなどなど、強力なシンガーのオン・パレード!
Vol.1と銘打ってあるこのアルバム、Vol,1で終わるのか、と思っていたら、6年後の1978年にVol.2&3が発売された。
しかし、こちらもCD時代に入ってからは、再発はご無沙汰。残念である。

当時、やっとソウルに目覚め始めた若き日の爺は、戸越銀座の4畳半のアパート(風呂なし、トイレ共同)で、毎日毎日これらのアルバムを聴いていたのであった。
また、当時知り合った布谷文夫氏(当時はDEW在籍)の柿生のアパートへ遊びに行った時、部屋に「ソウル・ディープ」のアルバムがあり、意気投合した記憶が蘇ってきた。
そのころ、我が国ではやっと、モータウンやスタックスやJBのR&Bからソウルへと、目が移り始めた頃。
翌年の'73年には、「ソウル・ディープ」でアトランティック時代の曲が紹介されていたオーティス・クレイのハイ・レコードからのデビュー・アルバム「トライング・トゥ・リヴ・マイ・ライフ・ウィズアウト・ユー」が、米国より1年遅れで発売され、いよいよ本格的なディープ・ソウル・ブーム(?)が到来したのである。
そこには、今は無き「芽瑠璃堂」などの小さくてもやる気満々の輸入盤の存在があったことを、忘れてはならない。
そして、1975年にはハイ・レコードのシングル集2枚と、世界に誇れるあのアルバムが登場するのである!
ということで、続きは次回!