南部の喜び

プロの中のプロ集団:BAREFOOT JERRY

'60年代後半のナッシュビルのスタジオ・ミュージシャン(通称:ナッシュビル・キャッツ)は、ボブ・ディランの'66年のアルバム「ブロンド・オン・ブロンド」の録音に参加することにより、ロック界から注目と人気を集めた。
その面子が集まってグループを作り、アルバムを2枚出す。
それが、ナッシュビルの市外電話番号を捩ったエリア・コード615である。
その中心メンバーはウェイン・モス(ベース、ギター)、チャーリー・マッコイ(ハーモニカ、ヴォーカル)、ケネス・バトレー(ドラム)、マック・ゲイドン(ギター、ヴォーカル)、デヴィッド・ブリッグス(キーボード)、ノバート・プットナム(ベース)などなど。
ケネス・バトレーとノバート・プットナムは後に、ニール・ヤングのバンドのメンバーとしても活躍する。
エリア・コード615が発展、解消して'70年代初頭に出来たのが「BAREFOOT JERRY」である。
マック・ゲイドン、ケネス・バトレー、ウェイン・モスを中心としたベアフット・ジェリーは'71年に「サザン・デライト」というアルバムを出す。
マック・ゲイドンのソウルフルなヴォーカルを中心としたロック色の濃いアルバムで、ベアフットの中では、一番好きなアルバムである。
その後、マックとケネスが脱退し、ウェイン・モス中心のバンドへと変わっていき、サウンドもカントリー色が濃くなっていく。
ドラムにケニー・マローンやペダル・スティールのラス・ヒックスを迎えたりしたが、メンバーは流動的であったようだ。
'77年までに計6枚のアルバムを出したベアフット・ジェリーだが、いつの間にか解散。
メンバーは、元々スタジオ・ミュージシャン、その後もそれぞれ活躍している。
ウェイン・モスは、数年目に来日、熱心な信奉者:徳武弘文氏を中心とした日本のミュージシャンと共演をしたり、ソロ・アルバムを出したりしている。
スタジオ・ミュージシャンが集まってアルバムを出すことは、ままあるが、ここまでの形はない。
ひとつの理想形かもしれない。
マスルショールズ系は全然その気配は無いな〜!